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解説

第54回定期演奏会《曲目解説》ト短調交響曲 5/7

2012年4月14日 土曜日

 1786 年 5 月 1 日、ブルク劇場での『フィガロの結婚』の初演の際、バジリオとドン・クルーツィオの二役を演じたアイルランド人の歌手マイケル・ケリーが以下のように伝えている。ケリーは、フィガロの結婚の初演でスザンナ役を演じたナンシー・ストレースと親しかった。ナンシー・ストレースは、当時、兄で作曲家のシュテファン・ストレースとヴィーンに住んでいた。

 ストレースの家ではちょくちょく音楽の夕べが催され、ハイドンが第一ヴァイオリン、ディッタースドルフが第二ヴァイオリン、モーツァルトがヴィオラ、ヴァンハルがチェロを受け持った。

 エルンスト・フリッツ・シュミットは、1780 年代の初めに書かれた 1 枚の自筆譜(ピアノのカデンツ)の裏側に書き記した数小節の楽譜が、ハイドンの三つの交響曲すなわち、第 47 番、第 62 番、第 75 番の冒頭主題であることを明らかにした。フリードリッヒ・ブルーメは、これらの交響曲が作曲された年からこのメモが書かれたのは、1782 年または 1783年より前ではないとしている。ブルーメは、1782 年から 1783 年に作曲されたハフナー交響曲とリンツ交響曲を作曲するにあたって、モーツァルトがハイドンの交響曲を研究していたのではないかと推察している。ハイドンは 1809 年、5 月 31 日、77 歳で亡くなった。葬儀にはモーツァルトのレクイエムが演奏された。

 1783 年 1 月 4 日、ヴィーンに住むモーツァルトはザルツブルクの父に 4 つの交響曲のパート譜をできるだけ早く送るよう頼んでいる。

 ヴィーンで僕が書いたこないだのハフナーの音楽については、原譜でも写譜でも、どちらでも送ってくださってかまいません。だって、いずれぼくは音楽会のためになんども写譜をさせなくてはならないでしょうから。――次にあげるシンフォニーも、できるだけ早くほしいのです。――

 手紙には、「次にあげるシンフォニー」として 4 つの交響曲の冒頭 4~5 小節が記されている。これらは、セレナードニ長調 KV 204 (213a)、交響曲第 29 番イ長調 KV 201(186a)、交響曲第 24 番変ロ長調 KV 182 (173dA)、交響曲第 25 番ト短調 KV 183(173dB)である。

 モーツァルトの交響曲第 25 番ト短調 KV 183 (173dB)は、1773 年10 月 5 日に完成した。しかし、自筆譜に記入されたの日付は、何者かの手によって消されている。モーツァルトは、1783 年 3 月頃に行われた一連の音楽会で「新曲」の交響曲を披露する必要があった。そのため、10 年前に作曲した交響曲を新曲のように見せかけるために、自筆譜にあった日付を本人自身が消したのではないだろうか。交響曲第 37 番ニ長調 KV 444 (425a+Anh.A53) は、ハイドンの弟であるミヒャエル・ハイドンの交響曲 P.16(1783 年 5 月作曲)にモーツァルトがアダージョの序奏を追加しただけのものであるが、これも 1784 年 2 月~4 月に行われた音楽会の急場を凌ぐために行われたと考えられている。


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