«
»

解説

第57回定期演奏会 《Einführung》
アウエルンハンマーとモーツァルト 2/5

2013年9月9日 月曜日

 9月12日付の父への手紙によると、アウエルンハンマーとの演奏会のために劇場でリハーサルを繰り返しており、ザルツブルクで作曲した二台のクラヴィーアのための協奏曲を早く送ってほしいと述べている。9月26日にも催促している。

 アウエルンハンマー嬢とぼくは、例の二つの、二台のクラヴィーアのための協奏曲を首を長くして待っています。――救世主の到来を待つユダヤ人みたいに、待てど暮らせど送られてこない、なんてことはないでしょうね。

 ようやくモーツァルトが二台のクラヴィーアのための協奏曲の楽譜を手にしたのは、10月12日であった。父への手紙には二台のクラヴィーアのための協奏曲は二つあると書かれている。二つの協奏曲とは(第7番)ヘ長調 KV 242と(第10番)変ホ長調 KV 365 (316a)である。これらの協奏曲のうちいずれか一方が、あるいは、両方が、11月23日、アウエルンハンマー邸で行われた演奏会で取り上げられた。11月24日付の父への手紙に演奏会の模様が記されている。

 演奏会には、トゥーン伯爵夫人(この方はぼくが招いたのです)、ヴァン・スヴィーテン男爵、ゴーデヌス男爵、お金持ちでユダヤ教に改宗したヴェツラー氏、フィルミアーン伯爵、そしてフォン・ダウブラーヴァイク氏とその息子が来ました。――ぼくらは二台のクラヴィーアのための協奏曲と二台のクラヴィーア・ソナタを演奏しました。このソナタはぼくがこの演奏会用に特に作曲したもので、たいへんな好評でした。フォン・ダウブラーヴァイク氏を通じて、このソナタをお届けします。彼はこの曲を自分のトランクに入れることを誇りに思うと言ったそうで、ぼくは彼の息子からそれを聞きました。

 二台のクラヴィーアのための協奏曲(第10番)変ホ長調 KV 365 (316a)が作曲された経緯についてはよくわかっていないが、1770年代後半に姉ナンネルルと共演するために作曲されたのではないかと考えられている。1881年、ライプツィヒのブライトコップフ・ウント・ヘルテルから出版されたこの協奏曲の両端楽章にはクラリネット、トランペット、ティンパニが追加されているが、これらがいつ誰によって追加されたのか分かっていない。この協奏曲は1782年5月26日にもアウガルテンでの演奏会でもアウエルンハンマーとモーツァルトの独奏で演奏された。クリストフ・ヴォルフは、アウガルテンでの演奏会のためにこれらの楽器が追加されたと考えている。この演奏会はフィーリップ・ヤーコブ・マルティンによって企画されたアウガルテン音楽会の1回目にあたり、プログラムには他にも大編成の管弦楽作品がのせられていたことがその理由である。アウエルンハンマーが、1810年頃にナンネルルに宛てた手紙で、ウィーンの貴族の館でモーツァルトが演奏したピアノ協奏曲について回想している。それによると、モーツァルトは聴衆に背を向けて蓋を外したピアノに座り、オーケストラはピアノの先を取り囲むように半円状に配置されていた。当時のクラヴィーアには蓋を支える棒がないことが多く、室内楽を演奏する時は蓋を閉じ、協奏曲を演奏する時は、蓋を外していたことが、同時期に描かれた絵画からうかがい知ることができる。ちなみに、アウエルンハンマー邸での演奏会のために作曲された「二台のクラヴィーア・ソナタ」は、ニ長調 KV 448 (375a)と考えられている。この自筆譜には、Clavicembalo 1:mo、Clavicembalo 2:doと少し薄い字で記載されている。1784という作曲年を示す書き込みもあるが、これは出版社のヨーハン・アントーン・アンドレによるもので間違いである。アルターリアが1795年、この曲を出版した際のタイトルは、SONATE pour DEUX CLAVECINS OU PIANO-FORTE Composée par W. A. Mozart. Œuvre 34me a Vienne chez Artaria & Comp.であった。

 12月15日付けの父への手紙に次のように記載されている。

 親愛なお父さん!
 12日付のお手紙、たったいま受け取りました。――フォン・ダウブラーヴァイクさんが、この手紙と、時計、ミュンヘンのオペラ、印刷された6曲のソナタ、それに2台のクラヴィーアのためのソナタとカデンツァを届けてくれます。

 カデンツァは、おそらく二台のクラヴィーアのための協奏曲(第10番)変ホ長調 KV 365 (316a)のもので、姉に頼まれて楽譜として書き出したものを送ったのであろう。カデンツァは元来、独奏者が即興的に演奏するものであるため、フェルマータ記号が記されているだけで、作曲者が楽譜に書き残すことはなかった。しかし、ロードロン伯爵夫人と二人の娘のために作曲された(第7番)ヘ長調 KV 242(元々、三台のクラヴィーアのための協奏曲であった作品を、1780年9月3日、モーツァルトが姉と弾くために2台のクラヴィーア用に編曲した)には、最初からカデンツァが作曲されていた。この手紙の封筒の裏には、姉宛ての追伸がある。

 親愛なお姉さん!
 印刷された6つのソナタと、二台のクラヴィーアのためのソナタを送ります。気にいってもらえるといいな。――あなたにとって新しいのは、4曲だけでしょう。変奏曲は、写譜屋がまだうつし終えていないので、次の便で送ります。

 ここで述べられている変奏曲について、海老沢は、1781年6月に作曲されたと推定されるグレトリーのオペラ『サムニウム人の結婚』の合唱曲「愛の神」によるクラヴィーアのための8つの変奏曲 ヘ長調 KV 352 (374c)、7月に作曲されたと推定される「羊飼いの娘セリメーヌ」によるクラヴィーアとヴァイオリンのための12の変奏曲 ト長調 KV 359 (374a)、同じく、7月に作曲されたと推定される「ああ、私は恋人を失くした」によるクラヴィーアとヴァイオリンのための6つの変奏曲 ト短調 KV 360 (374b)ではないかと推測しているが、アウエルンハンマーに献呈された「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」によるクラヴィーアのための12の変奏曲 ハ長調 KV 265 (300e)の可能性もあるのではないかと思う。ザルツブルクの家族からモーツァルトに宛てて送られた手紙は失われているが、おそらく姉ナンネルルは、どちらが第一ピアノを弾いたのか尋ねたのであろう。モーツァルトは、1782年1月9日付の父への手紙の追伸で回答している。

 追伸 愛するお姉さんに、心から1000回のキスを送ります。――アウエルンハンマー嬢は、二台のクラヴィーアのためのソナタで第一ピアノを弾きました。

 


«
»