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解説

交響曲 第14番 イ長調 KV 114

2011年10月9日 日曜日

大阪モーツァルトアンサンブル 武本 浩 (第53回定期演奏会より)

また少し時代は遡って1771年12月15日。モーツァルト父子はイタリア旅行からザルツブルクに帰郷した。その翌日、モーツァルト家を庇護してきた大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバッハがその74歳の生涯を閉じた。二週間後の12月30日に完成したのが、交響曲第14番イ長調である。管楽器の活躍、対位法の多用、4楽章構成であることなど、これまでの交響曲より規模が大きく、ヴィゼワ=サン=フォアは、イタリア的な要素を残しながらも、「オーストリア風」あるいは「ヴィーン風」の作風になっていると指摘している。何のためにこの交響曲が作曲されたのかは不明であるが、大司教の喪服期間のため、あるいは、控え目な四旬節の祝祭のため、あるいは、新大司教を迎え入れるために必要であったと考えられている。新モーツァルト全集の編集者は、KV 61gIのイ長調のメヌエット(編成は、フルート2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、バス)がこの交響曲のために作曲されたと考えていたが、アラン・タイソンの自筆楽譜の研究により、1770年には既に作曲されていたことが判明。編成にヴィオラがありホルンがないことから、舞曲ではなく、交響曲のメヌエットのトリオとして作曲されたのではないかと推察している。アインシュタインが1936年より以前、自筆譜を調べたときに、もうひとつのメヌエット(主部のみ)を発見していた。アインシュタインはこれを初稿であると考えた。採用されなかった初稿のメヌエットは第2楽章の主題の焼き直しになっており、モーツァルトが曲全体を統一感のあるものに仕上げようと意図していたことが分かる。本日の演奏会ではこの初稿のメヌエットの主部と、第2稿で作曲されたイ短調の物悲しいトリオと合わせて演奏する。1772年4月29日、モーツァルトが後にヴィーンへの移住を決意することになる新大司教ヒエローニュムス・フォン・コロレード伯爵がザルツブルクに入城し、8月21日に16歳のモーツァルトは有給のコンツェルトマイスターに昇格した。年棒は、150グルデン。そして10月24日、モーツァルト父子は、再びイタリアへと旅に出るのであった。

Sinfonie Nr. 14 A-Dur KV 114
 
I. Allegro moderato[audio:https://mozartensemble.jp/audio/53/Sinfonie Nr. 14 A-Dur KV 114/ I. Allegro moderato.MP3]
II. Andante[audio:https://mozartensemble.jp/audio/53/Sinfonie Nr. 14 A-Dur KV 114/ II. Andante.MP3]
III. MENUETTO mit Trio[audio:https://mozartensemble.jp/audio/53/Sinfonie Nr. 14 A-Dur KV 114/ III. MENUETTO mit Trio.MP3]
IV. Molto allegro[audio:https://mozartensemble.jp/audio/53/Sinfonie Nr. 14 A-Dur KV 114/ IV. Molto allegro.MP3]
 
アンコール Sinfonie Nr. 14 A-Dur KV 114 II. Andante[audio:https://mozartensemble.jp/audio/53/Sinfonie Nr. 14 A-Dur KV 114/ II. Andante-2.MP3]

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