9月12日付の父への手紙によると、アウエルンハンマーとの演奏会のために劇場でリハーサルを繰り返しており、ザルツブルクで作曲した二台のクラヴィーアのための協奏曲を早く送ってほしいと述べている。9月26日にも催促している。
アウエルンハンマー嬢とぼくは、例の二つの、二台のクラヴィーアのための協奏曲を首を長くして待っています。――救世主の到来を待つユダヤ人みたいに、待てど暮らせど送られてこない、なんてことはないでしょうね。
ようやくモーツァルトが二台のクラヴィーアのための協奏曲の楽譜を手にしたのは、10月12日であった。父への手紙には二台のクラヴィーアのための協奏曲は二つあると書かれている。二つの協奏曲とは(第7番)ヘ長調 KV 242と(第10番)変ホ長調 KV 365 (316a)である。これらの協奏曲のうちいずれか一方が、あるいは、両方が、11月23日、アウエルンハンマー邸で行われた演奏会で取り上げられた。11月24日付の父への手紙に演奏会の模様が記されている。
演奏会には、トゥーン伯爵夫人(この方はぼくが招いたのです)、ヴァン・スヴィーテン男爵、ゴーデヌス男爵、お金持ちでユダヤ教に改宗したヴェツラー氏、フィルミアーン伯爵、そしてフォン・ダウブラーヴァイク氏とその息子が来ました。――ぼくらは二台のクラヴィーアのための協奏曲と二台のクラヴィーア・ソナタを演奏しました。このソナタはぼくがこの演奏会用に特に作曲したもので、たいへんな好評でした。フォン・ダウブラーヴァイク氏を通じて、このソナタをお届けします。彼はこの曲を自分のトランクに入れることを誇りに思うと言ったそうで、ぼくは彼の息子からそれを聞きました。
二台のクラヴィーアのための協奏曲(第10番)変ホ長調 KV 365 (316a)が作曲された経緯についてはよくわかっていないが、1770年代後半に姉ナンネルルと共演するために作曲されたのではないかと考えられている。1881年、ライプツィヒのブライトコップフ・ウント・ヘルテルから出版されたこの協奏曲の両端楽章にはクラリネット、トランペット、ティンパニが追加されているが、これらがいつ誰によって追加されたのか分かっていない。この協奏曲は1782年5月26日にもアウガルテンでの演奏会でもアウエルンハンマーとモーツァルトの独奏で演奏された。クリストフ・ヴォルフは、アウガルテンでの演奏会のためにこれらの楽器が追加されたと考えている。この演奏会はフィーリップ・ヤーコブ・マルティンによって企画されたアウガルテン音楽会の1回目にあたり、プログラムには他にも大編成の管弦楽作品がのせられていたことがその理由である。アウエルンハンマーが、1810年頃にナンネルルに宛てた手紙で、ウィーンの貴族の館でモーツァルトが演奏したピアノ協奏曲について回想している。それによると、モーツァルトは聴衆に背を向けて蓋を外したピアノに座り、オーケストラはピアノの先を取り囲むように半円状に配置されていた。当時のクラヴィーアには蓋を支える棒がないことが多く、室内楽を演奏する時は蓋を閉じ、協奏曲を演奏する時は、蓋を外していたことが、同時期に描かれた絵画からうかがい知ることができる。ちなみに、アウエルンハンマー邸での演奏会のために作曲された「二台のクラヴィーア・ソナタ」は、ニ長調 KV 448 (375a)と考えられている。この自筆譜には、Clavicembalo 1:mo、Clavicembalo 2:doと少し薄い字で記載されている。1784という作曲年を示す書き込みもあるが、これは出版社のヨーハン・アントーン・アンドレによるもので間違いである。アルターリアが1795年、この曲を出版した際のタイトルは、SONATE pour DEUX CLAVECINS OU PIANO-FORTE Composée par W. A. Mozart. Œuvre 34me a Vienne chez Artaria & Comp.であった。
12月15日付けの父への手紙に次のように記載されている。
親愛なお父さん!
12日付のお手紙、たったいま受け取りました。――フォン・ダウブラーヴァイクさんが、この手紙と、時計、ミュンヘンのオペラ、印刷された6曲のソナタ、それに2台のクラヴィーアのためのソナタとカデンツァを届けてくれます。
カデンツァは、おそらく二台のクラヴィーアのための協奏曲(第10番)変ホ長調 KV 365 (316a)のもので、姉に頼まれて楽譜として書き出したものを送ったのであろう。カデンツァは元来、独奏者が即興的に演奏するものであるため、フェルマータ記号が記されているだけで、作曲者が楽譜に書き残すことはなかった。しかし、ロードロン伯爵夫人と二人の娘のために作曲された(第7番)ヘ長調 KV 242(元々、三台のクラヴィーアのための協奏曲であった作品を、1780年9月3日、モーツァルトが姉と弾くために2台のクラヴィーア用に編曲した)には、最初からカデンツァが作曲されていた。この手紙の封筒の裏には、姉宛ての追伸がある。
親愛なお姉さん!
印刷された6つのソナタと、二台のクラヴィーアのためのソナタを送ります。気にいってもらえるといいな。――あなたにとって新しいのは、4曲だけでしょう。変奏曲は、写譜屋がまだうつし終えていないので、次の便で送ります。
ここで述べられている変奏曲について、海老沢は、1781年6月に作曲されたと推定されるグレトリーのオペラ『サムニウム人の結婚』の合唱曲「愛の神」によるクラヴィーアのための8つの変奏曲 ヘ長調 KV 352 (374c)、7月に作曲されたと推定される「羊飼いの娘セリメーヌ」によるクラヴィーアとヴァイオリンのための12の変奏曲 ト長調 KV 359 (374a)、同じく、7月に作曲されたと推定される「ああ、私は恋人を失くした」によるクラヴィーアとヴァイオリンのための6つの変奏曲 ト短調 KV 360 (374b)ではないかと推測しているが、アウエルンハンマーに献呈された「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」によるクラヴィーアのための12の変奏曲 ハ長調 KV 265 (300e)の可能性もあるのではないかと思う。ザルツブルクの家族からモーツァルトに宛てて送られた手紙は失われているが、おそらく姉ナンネルルは、どちらが第一ピアノを弾いたのか尋ねたのであろう。モーツァルトは、1782年1月9日付の父への手紙の追伸で回答している。
追伸 愛するお姉さんに、心から1000回のキスを送ります。――アウエルンハンマー嬢は、二台のクラヴィーアのためのソナタで第一ピアノを弾きました。
アウエルンハンマーとモーツァルト
大阪モーツァルトアンサンブル 武本 浩
1781年3月16日、モーツァルトは、ザルツブルク大司教ヒエローニュムス・コロレードの命に従い、ヴィーンに赴いた。翌日に書かれた父への手紙の中で、ヴィーンに無事到着したが、食事は、料理人や菓子職人と一緒の末席で取らねばならず、食卓では下品でばかばかしい冗談が交わされるので、食事中はひと言も口をきかないで食事が終わるとすぐ引き上げていると報告している。3月24日付の父への手紙に、実際に送られたのは28日以降であるが、ヴィーンでクラヴィーアの最初の弟子となるアウエルンハンマーの名前が初めて登場する。
天気がよくなり次第、フォン・アウエルンハンマー氏とその肥満令嬢の邸に行きます。
ヨハン・ミヒャエル・フォン・アウエルンハンマー氏はオーストリアの実業家で、モーツァルトがヴィーン到着早々に訪問していることから、父レーオポルトと親交があったのであろう。モーツァルトの手紙によると、アウエルンハンマー氏は、1782年3月22日の午後6時半に亡くなるまで、何度かザルツブルクのレーオポルトと手紙のやり取りをしていた。彼の「肥満令嬢」が本日の演奏会のテーマになっているヨゼーファ・バルバラ・アウエルンハンマーである。彼女は、1758年9月25日生まれ、モーツァルトの2歳年下である。モーツァルトの弟子になるまでは、ゲオルク・フリードリヒ・リヒター、ないしヨーゼフ・リヒターというヴィーンの音楽家に学んでいた。モーツァルトの死後はレーオポルト・アントーン・コジェルフの門下に入っている。1781年6月8日、モーツァルトは、アルコ伯爵にお尻を足蹴にされて戸口から追い出され、ザルツブルクの宮廷から解雇された。これで晴れて自由の身になったモーツァルトは、音楽の都ヴィーンでの活動を本格的に開始したのである。
1781年6月27日付の父に宛てた手紙にアウエルンハンマー嬢のことが詳細に述べられている。
ぼくはほとんど毎日、昼食後、アウエルンハンマー氏の家に行きます。――その令嬢ときたら化け物のようなブスです!――でもうっとりとさせるような演奏をします。ただ彼女には、カンタービレで弾く、本当の繊細な歌う様式が欠けています。彼女はなんでも爪弾きしてしまうのです。――彼女は自分の方針を(こっそり内緒で)打ち明けてくれました。それは、あと2、3年みっちり学び、それからパリに行って、音楽を職業とする、というものです。――彼女は言いました。「私は美しくありません。ああ、それどころか醜いです。年収3~4000グルデンの官庁のお偉方などと結婚したくはないし、他の男を手に入れるなんてできそうもない。だから、このまま独りでいて、自分の才能で生きて行きたいんです」と。これはもっともなことです。そこで彼女は、その計画を実現するために、ぼくの助けを求めたわけです。――でも彼女はあらかじめそれを誰にも打ち明けたくないのです。
オペラは、なるべく早く送ります。トゥーン伯爵夫人がいまだに持っていて、目下、彼女は田舎にいます。――ともあれ変ロ長調の四手のためのソナタと、二台のクラヴィーアのための協奏曲二曲を写譜して――至急送ってください。
8月22日付の父への手紙には、レーオポルトが信頼を寄せているアウエルンハンマー一家のことがこと細かく記されている。父親のヨハン・ミヒャエルは、お人よしで自分のことと娘のことしか頭になく、奥さんのエリーザベト(旧姓フォン・ティンマー)は、世にも愚かでばかげたおしゃべり女である。亭主は奥さんの尻に敷かれている。モーツァルトと一緒に辻馬車に乗ったことやビールを飲んだことなどは女房の前で言わないでくれと頼む人だと描かれている。その手紙の中で、「うんざりする」アウエルンハンマー嬢のことが延々述べられている。
もし画家が悪魔をありのまま描こうと思ったら、彼女の顔を頼りにするにちがいありません。――彼女は田舎娘のようにデブで、汗っかきで、吐き気を催すほどです。――肌をまる出しで歩きまわっているので、――「ねえ、こっち見てよ」と、顔にちゃんと書いてあるみたいです。もう、見るのも沢山。盲目になりたいものです。でも――運悪くそっちに目を向いてしまうと、あと一日中、ひどい目に会います。――その時は酒石(注: 吐剤として用いられていた)が入り用です!――それくらい嫌らしく、汚らしく、身の毛のよだつような人です!――ああ、こん畜生め!――
ところで、彼女がどんなにクラヴィーアの演奏をするか――どうしてぼくに手助けしてほしいと頼んだかについては、もう書きましたね。――ぼくは人のためになることなら喜んでしますが、絶えず悩まされるのはごめんです。――彼女はぼくが毎日2時間、一緒に過ごしても満足しません。彼女はぼくに一日中そこに坐っていてほしいと言います。――ぼくは冗談だと思っていましたが、いまでは本気だということが分かります。――たとえば、ぼくが、いつもより少し遅れてきたり、ゆっくりしていられなかったり、そんなようなときに、彼女はやんわりと攻めるなど――なれなれしい態度をとるので、ぼくはそれと気づいたのです。――彼女をもてあそばないためには、丁重に本心を伝えざるをえませんでしたが、――これは何の役にも立たず、彼女のぼくに対する思いはますます深まるばかりです。
結局、ぼくは彼女が変なことを言い出さないかぎり、丁重に接しましたが、彼女の様子がおかしくなり始めると、ぶっきらぼうな態度をとりました。――そうすると、彼女はぼくの手を取って言うのです。「モーツァルトさん、ねえ、そんなに怒らないで。――あなたがなんておっしゃろうと、あたし、本当に好きなんですもの、あなたが。」
街中の人たちが、ぼくらが結婚するのだと言っています。そして、よくまああんな御面相の娘をぼくが選んだものだと呆れています。そんな話がでると、彼女はいつもそれを笑って聞き流していたそうです。でも、ぼくがある人から聞いたことによると、彼女はこの噂を認めた上で、結婚したら一緒に旅行するのだと付け加えていたのです。――これには腹が立ちました。――そこで、こないだとうとうぼくの本心をはっきりと伝え、ぼくの好意に付け込まないでほしいと言い渡しました。――そして、いまはもう毎日ではなく、一日おきに彼女のところへ行っています。こうして徐々に減らすことになるでしょう。――彼女は勝手に惚れ込んだ愚か娘にすぎません。――なにしろ、ぼくと知り合う前、劇場でぼくの演奏(注: 4月3日、ケルントナートーア劇場で催された演奏会)を聞いて、「あした、あの人あたしの家に来るのよ。そうしたらあたし、彼の変奏曲を彼ぴったりの好みで弾いてあげるわ」と言っていたのですからね。――そういうわけで、ぼくは行ってやりませんでした。うぬぼれた言い方だし――彼女は嘘をついていたのですから。翌日ぼくが行くことになっていたなんて、全くぼくの知らなかったことですよ。
第57回定期演奏会
日時:2013年9月16日(祝) 午後3時開演(2時30分開場)
会場:豊中市立アクア文化ホール
(阪急宝塚線「曽根」駅から東へ約300メートル、徒歩約4分)入場料:1,800円
曲目:W.A.モーツァルト
- 管弦楽のための交響曲 (第39番) 変ホ長調 KV 543
- 弦楽のためのアダージョとフーガ ハ短調 KV 546
- 2台のクラヴィーアのためのソナタ ニ長調 KV 448
- フランス歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」によるクラヴィーアのための12の変奏曲 ハ長調 KV 265 (300e)
J. B. アウエルンハンマー
- 「おいらは鳥刺し」によるクラヴィーアのための6つの変奏曲 ト長調 KV Anh. C 26.18
W.A.モーツァルト
- 2台のクラヴィーアのためのフーガ ハ短調 KV 426
- 2台のクラヴィーアと管弦楽のための協奏曲 (第10番) 変ホ長調 KV 365 (316a)
- ピアノ:多川 響子 河内 仁志